【おじいちゃんの酒】 文/おぐら美月

おじいちゃんは漁師だった。漁師は、早朝3時か4時には漁に出る。そして、みんなが起きだす頃に一仕事終えて帰ってくる。だから、おじいちゃんは、朝ご飯の時間に新鮮な魚と裏庭の菜園でとれた野菜で、仕事の後の一杯を楽しむ。私は静かに飲んでいるおじいちゃんの後ろから近づいて、白髪の坊主頭をコツンとやる。おじいちゃんは、誰かに頭を叩かれるなんてぜったい許せない海の男だったけど、私とわかっているから笑顔で振り向いて、
「あんたかね。いっしょに飲むかね」 と言って、湯呑みに少しついで渡してくれる。小さな子供の私が、舌先ですこし舐めて顔をしかめると、とても嬉しそうに「うまいだろう」と言う。そんなときのおじいちゃんの目は線になって、恵比寿サマのように縦についている。そしてほんとにうまそうにまた一口飲む。

ちょうど今くらいの晩秋の張り詰めた空気の中、いつものように朝の散歩にでかけたおじいちゃんは、漁港で帰ってくる船を見ながら、くも膜下出血で倒れてそのままぽっくり逝ってしまった。
おじいちゃんの人生最期の脳裏に焼き付いたものは、おじいちゃんの海だった。

みんながみんな、天国へのお土産にとお酒をどんどん持たせたから、葬儀屋のおじさんに「これじゃ斎場に行けない」としかられた。たしかにおっしゃる通り。回収。

誰かに、目の中に入れても痛くないというような慈しみのこころで見つめられたひとは、人生の生きていく力をもらうんだそうな。自分の生命が確かに必要なものであるという自信。ちょっと苦しいときには、お酒を飲んでいたおじいちゃんの笑顔を何十年たっても思い出すよ。


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