【居酒屋飲み方指南】 文/Yoshiko
 

 以前、同年代のイギリス人の青年と飲みにいったことがあった。場所はわたしの行きつけのちいさな居酒屋。マスターや馴染みの常連客への紹介をひととおり済ませ、わたしたちは隅のカウンターに腰をすえた。
 
 まずは、なにはともあれ生ビールで喉を潤す。ふたりとも、はじめの一口でぐいっと中ジョッキの半分まで一気にあけた。彼もかなりいける口とみた。昼間、口いっぱいにまでたまった熱気がぐんと冷やされた心地よさに、おもわず笑顔になりながら聞いてみる。
 
「日本のビール、好き?」
「うん、好きだよ。飲み口がすっきりしているしね。でもイギリスのビールのほうがやっぱり好きだな。味が全然違うもの。もっと麦の味が濃くて甘味がある感じ」
 
 中ジョッキをもう一杯飲み干してから、わたしはボトルキープしてある日本酒へと移行。日本酒を飲んだことがないという彼にも、味見をしてもらうことにした。
「うん、おもっていたよりキツくないね」という感想。うすいブルーの瞳は、一升瓶にはりついたラベルをしげしげと眺めている。
「これは、お酒の銘柄?」
「そう。このお酒は山田錦っていうの」
「あっちも日本酒?」 と彼が示した先には、別の常連客のボトルがある。
「そう。あれは上善水の如し。ちょっともらって試してみる?」 返事を聞く前から、わたしはマスターからガラスのおちょこを受け取り(なんというコンビネーションのよさ!)ボトルの持ち主へ一杯いただきにあがった。おかえしに、こちらのボトルからも一杯。
 
 差し出されたおちょこの中身をすすり、目を丸くしていうには、
「これはまた、飲み口がちがうなあ!」
「そう。銘柄によって味も違うの。甘口、辛口、温めて飲んだほうがおいしいもの、冷たくして飲んだほうがおいしいもの、そのお酒によっていろいろ楽しみ方があるっていうわけ」
「ふーん、種類が多いのと、度数からいえば、ワインに似ているね。どのくらいの種類の銘柄があるの?」
「うん、何百じゃあ足りないね。その土地でしか手に入らない地酒もあるし、何千、何万かなあ」 「すごい! 同じ米と水だけの材料で、しかも日本国内でしか生産していないのに、そんなに種類があるんだ」
 
 ここで調子づき、樽酒の飲み方をついでにご教授。菊正宗のたる、と頼むと、ほどなくカウンターの向こうから甘い香りただよう液体を湛えた升がでてきた。 もちろん、受け皿にはこの液体が二、三口ぶんほどこぼしてある。つぎに差し出されたあら塩の盛られた小皿をうけとる。左手の親指の付け根からやや内側の、押すとくぼむ部分を軽く舐め、小皿の塩をつまんでのせる。同じ手でおもむろに升を持ち上げ、唾液を吸って安定した塩をかるく舐めて、持った角のとなり角からすする。塩がマイルドさを引き立てる。木の香りが鼻をつく。海と田と森の恵み。いつ飲んでも格別である。
 
 興味深げに見まもっていた彼にすすめる。たかがひと舐めしただけで塩が落ちないようになるのかといぶかしながらも(だいぶ大きくベロッと舐めてみせた) 手に塩をのせ、ひとくち飲んで「Lovely!」と、なんともいえずいい笑顔になった。のんべえの笑顔。それから子供っぽく塩をのせた手を大きく振り、ほんとだ、ほんとうに落ちないね、と喜んでいるような口ぶりでいう。
 
 そのような彼の動作に心が緩んだのか、今まで遠巻きにしていた常連のひとりが寄ってきた。片手に焼酎の一升瓶、もう片方の手にホッピーの瓶をもっている。
「おにいさん、ホッピーは飲んだことあるかい」
 
 わたしは手短に、ホッピーなる飲み物について説明した。彼にしてみれば、もちろん、断るてはない。中ジョッキに氷を四、五個ほうりこみ、焼酎を三分の一の高さまで注いでからホッピーの原液をつぎ足す。マドラーでかき回すと、ビールよりもやや密度の薄い泡がさらに高さを増す。彼は黒ホッピーがいたく気に入ったようだ。イギリスのビールに味が似ているという。ぼくがイギリスのパブで飲んでいたのはこの味だよ、と興奮気味になんどもくりかえす。彼自身が周りの客とすっかり打ち解け、カタコトの日本語で語りだしたら、わたしのへたな通訳などもうお呼びではない。もとより、のんべえに国境はないのである。
 
 数時間後、「また機会があったら、いつでも寄りなよ、黒ホッピーおごるからさ」と嬉しい声をかけられつつ、店をあとにした。のれんの向こうは、しんと静まりかえった夜である。
「ああ、今、すごくいい気持ちだよ。ひどく酔っ払っているわけではなくて、いい具合に酔いがまわって楽しい気分。こういう酔い方って、日本語でなんていうの?」
「ほろ酔い、かな」
「ほろ酔い、ねえ」
 
 horoyoihoroyoihoroyoi……濃い紺色の空にまたたく星を見上げながら、まるで上質の酒を味わうかのように、彼は舌の先でその言葉をなんどもころがし、楽しんでいた。


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